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82段

社会学者・徳川直人の非専門・半専門の不ぞろいエッセイと日常ジャーナル

そりゃあいやにもなるわね: 「やさしさ」の病理

おっと・とっと 子育て
  1

 ここのところ、帰るとたっぷり報告が待っている。ネガティブな自己イメージがとても気になる。

  「わたし、あたまがわるいんだよ。かんがえるちからがないんだ。ゼロなんだよ。さんすうのけいさんで、ゆびをつかわないと、できないんだ。あたまでできないの。ゆびでやろうとしたら、となりのKくんがゆびでやっちゃだめっていうんだよ。みんなできるんだ。マーだけできないんだよ。かきうつしのときも、なかなかできなくて、はっとしたらたいいくがはじまりそうになって、しまったー!となって、せんせいにてつだってもらって、やっとまにあったんだよ。いつもマーだけおそくてだめなんだよ。どうやったらかんがえることができるのか、わからない」。

 はじめはニコニコしているのだが、語るうちに自分の境遇の不幸が際立ってきて、半べそになる。

 いや、単に訴えるための強調という域を出ている。「いつもわたしだけ」「わたし、ばかなんだよ」「ちっともわからない」「ぜんぜんだめなんだ」などと自分を全否定し、自分で頭を小突くようになってきた。

 小学校一年生。一学期のように「学校がいや」「引っ越したい」「転校したい」とは言わなくなり、毎日遅刻ののろのろだが、欠かさず行くようにはなっていた。相方のキューちゃんか、時おり私が、毎日、送っていってはいるが、それが無理を強いているのかも知れない。朝の「あたまがいたい」「おなかがいたい」も、もう慣れっこになって、あまり気にしなくなっていた。

 深刻だ。

 

 2 

 最初、ドラえもんの見過ぎかと思っていた。のび太に同調してしまうのだ。

 おかげであやとりが大好きになったのはいいものの、あの世界、のび太くんはバカにされてばかり。みんなから笑われ、からかわれ、先生はしかるばかり、親は怒鳴るしか能がない。受け入れてくれるのは、思い出のおばあちゃんとドラえもんだけ。

 でも、そのギャグがおもしろいのか、いろんな道具が興味深いのか、様式に固まりきった物語り構造が安心できるのか、何度も何度も見る。ドラえもん道具図鑑はもうすりきれそう。

 それで、なんでも「できない」「笑われる」で枠づけられてしまうのだ。

 ・・・というように最初は推測していたりしたのだが、どうもそれではないようだ。いろいろな言い回しやボキャブラリーをそこから得ているのは確かだが、まぁ、いわゆるところの「メディアの影響力」に支配されきってしまうほど、こどもも受動的な存在ではあるまいて。

 話を聞くうちに、「いじめ」や「からかい」、あるいは物理的な「暴力」とは逆、教室ですすめられている「たすけあい」や「やさしさ」が原因ではないか、と。

 

 3

 先日の朝、不安になったらしく、送っていってくれという。一学期ほどぐずぐずはしないが、なんだか足取りは重い。遊びを入れ、かけっこにして行ったが、昇降口のところでぴたっと止まってしまった。小声で言う。

 「ふあんていだから、みていて」。「きゅうしょくまで、いていいよ」。

 久しぶりにつきあいますか。

 なんやかやで、ここのところ、土日以外はあまり遊べていない。夕べは遅くもなってしまった。そのツケというものだろう。本当にいやなことがあったかどうかはさておき、聞いてほしい、見てほしいもあるだろう。

 スリッパにはきかえる。教室では、一時間目はまだだが、もう、本の読み聞かせタイムが始まっているのか、声が聞こえてくる。最近の教育方針なのだろう、戸は前も後ろも開け放し。机はいちばん前なので、前からそろっとマーを送り入れると、私にとってはびっくりすることがおこった。

 マーが足取りも重く机のところに近づくや、両隣の男の子2人がさっと立ち--そのうち1人はいつもうちでグチの対象となるAくんだ--重たいランドセルをおろすのを手伝ってくれ、そればかりか、ランドセルの中から教科書やら漢字練習帳やらノートやらをとりだして机の中にどんどん入れてくれる。

 こういうのが前にもあった。遅れていったマーを昇降口で見つけるや、やはり男の子数人が取り巻いてきて。そのときは、まー親切な男の子たちもあったもんだ、マーは案外に人気者なのか?、という程度に見ていたのだが・・・

 

 「やさしさ」をクラスですすめているのである。

 やさしさに気づいたら、その人に拍手する。帰りの会で、そういうのをやっているらしい。

 通信によれば、まだまだ自分のことで精一杯、周囲に気配りもできないけれど、やさしさを見つけた日にはクラスがやさしい雰囲気に包まれます、とか。

 まぁ、自分ばかりのことではなく、周囲の様子に注意するのは大切なことだろう。それはそれで大切なことだ。

 けれど、ちょっと遅れて「しまった」と思っている子にとりついてあれやらこれやらと世話をやくのは、その「しまった」感を強めてしまうのではないだろうか。

 そういえば、授業中の練習などでも、「早くできた人が遅い人を手伝ってあげる」というのがあった。

 正直、これはやめてほしい。

 マーは「自分でやりたいさかり」なのだ。親の私たちだって、へたに手を出すと「自分でやりたかったのに!」と、「超」レベルで怒られる。しかも、凝り性ペアの娘、字が少し曲がったとかが気になるらしく、何度も何度も書き直し、作業のほとんどでいちばんビリになる。

 親切とは、「自分ではいかんともしがたい状況に陥って困っている人」とかSOS信号を出している人に対してするものであって、「自分でなんとかしようとしている人」にやたら手を貸すことではあるまいに。

 原因はこれだ、これだけではないかもしれないが、少なくとも大きな要因の一つにちがいない、と思った。

 

 さらに翌日、キューちゃんが迎えに行ったら、昇降口に出てくるや、今にも泣きそうだったとかで、その場で居残り、急ぎ先生と面談してもらった。

 彼女も同じ意見。自分でやりたいので、あまりに世話をやかれるのがいやなのではないか、本人は、保育園時代など、小さな子の面倒をみたりしたくらいなのに、幼稚園では身体が小さいというだけで、ごっこ遊びの妹役や赤ちゃん役を強いられ、いやな思いをしたようだ、等と伝える。

 自分を目下にしたてあげることで周囲が「おねえさん」になっていく。この序列化の苦痛だ。

 作業がおそいのは、100点でも赤ペンで直されるから、あるいはじっくり考えたり丁寧にやりたいからであって、わからないからではない。家庭ではお絵かきなんか1時間以上もとりくんだりする。無制限というわけにはゆかないだろうけれど、すこしはそのペースを尊重してもらいたい、と私も思う。

 

 4 

 お友達がなければならない、お友達同士はやさしくしなければならない、という雰囲気が、とても重い。

 

 教科書に載っているおはなしも重たい(と私は思う)。

 熊の子が貝殻をひろってきた。ウサギの子に、どの貝殻が好き? 尋ねると、しまもようのが好きだという。困った。桃色のが好きという答えなら、おみやげにあげようと思っていたのだが、熊の子もしまもようの貝殻がいちばん好きだったのだ。一晩考えて、熊の子がもってきたのは、しまもようの貝殻。大切な友達だから、いちばん好きなのをプレゼントすることにした、という。よろこぶウサギの子を見て熊の子もうれしくなりました、と。

 --さあ、「ありがとう」というウサギの子が、それに続けて何か言うとしたら、なんて言うでしょう。見ていた日の「こくご」の授業ではそんな作業になった。

 

 私が一年生だったら1行も書けないだろうと思った。

 自分の周囲にそんな現実がない、というか、なぜそんな親切なことをしてくれるのか理解できない。

 マーもそうだったらしく、他の子がどんどん書いて「先生、できました」という声が挙がり始めても、鉛筆を持ったまま、こおっちゃっている。

 (おみやげを自慢ばかりするスネ夫のび太ならどう反撃するか、という問題だったら、喜んで取り組んだだろう)。

 

 私が一年生だったなら--実は、私は6歳の4月にみんなと一緒に小学校に入ったわけではなく、すこし遅れて入学したのは覚えているのだが、入学後しばらくの記憶がまるでない。だから、どうもあやふやな想像にすぎないのだがーー「いらない」という答えを、たぶん思いつく。

 保育園のころ、同級生が持っていた手裏剣のおもちゃがほしくてほしくてたまらなかった私は、つい、それを盗ってしまう夢さえ見たことがあったからだ。それで、人が大切にしているものをむやみにほしがっちゃいけない、と思うようになっていた。

 やたらほしがってはいけない、というのはマーも同じらしく、お店で「これ買って買って買って~」の座り込みは何度もあったけれど、子育て支援スペースなどで他の子とおもちゃの取り合いひとつしたことがない。ぶつかりそうなら、自分から手を引く。これまで、小さな子に囲まれた保育所もあったりして、まず遠慮、が身についているのである。

 だから、小さな子にゆずるのは理解できる。が、「おともだち」--この言葉も要注意で、マーにとり、幼稚園以来、「おともだち」とは同級生の同義語、「別に仲良いわけじゃないクラスメート」を言い表す言葉をまだ知らない--が、なぜそんな親切なことをしてくれるのか、わかりづらかっただろう。

 それに、そもそもマーは「貝殻」を集めにいったことが、まだない。2011年に1歳だった。海に近づける状況ではない(仙台在住)。この夏、初めて海水浴場に行った。貝殻の縞模様とか桃色とか言われても、想像しづらいだろう。科学図鑑はよく見ていて、恐竜とか惑星とか草花なら詳しいのだけれど。(津波被災地でもこの教科書を採用しているのだろうか?)

 私だったら--この中では縞模様のがいちばん好きかもしれないけれど、そもそも貝殻がほしいと思っていたわけじゃないし、とってきてと頼んだわけでもない。桃色と縞模様と、本当に好きなのはどちらか、実はあまり自信がない。だいたい、自分が熊の子くんをそこまで好きかどうかもわからない。けれど、「いらない」とか「困ったなあ」が先生がよろこぶ答えじゃないということも、想像できる。そういう状況に陥ったかもしれない。

 これは、6歳児の推論能力を過小評価した教材、あるいは、規範の伝達を目的にした教材ではないだろうか。

 

 はい、っと手が挙がる子の答えは過剰同調のものがめだつ。「こころのこもったぷれぜんとだね。たいせつにするよ」。

 先生はそれをほめたけれど、私は「こんどおれいをしなきゃね」も素晴らしい答えだったと思う。

 一方的に「贈与」されるばかりの心痛を想像してみるべきだと思うのだ。

 

 5 

 マーは、一方的にやさしくされるばかりの状況、言い換えれば、「やさしさ」の推奨が「だめな子探し」になっている状況、もっと言えば、やさしくして拍手を得ようとする一部の子の態度が、自分をかわいそうな子、だめな子におとしめること、それがつらく、悔しかったにちがいない。

 近々、先生にそのことを話して、相談するつもりでいる。

フマンがあります: 学校が嫌いないろいろな理由

おっと・とっと 子育て

 「学校きらい! もう行かない!」。

 いろいろ話を聞いてみる。妙に表現力の進歩に感心したりする。

 

 見せつけられ説

 「鉄棒のところでKちゃんが、やってよ、って言うの」

 マーにはできないことをするように言われるのだという。

 「マーがお勉強しているのに途中でAくんが答えを言っちゃうんだよ。マーは自分でやりたいんだよ」。

 「みんなに笑われるんだよ」。

 幼稚園のころにもブランコで似たようなことがあって悔し涙を流した。「立ち乗り」ができるかどうかが深刻な問題だったのだ。

 「できる」を見せつけてくる子には、えてしてすこし離れたお兄さんかお姉さんがあった。その子たちも差を見せつけられる悔しさをかかえているのだろう、と想像したりもした。

 小学校でも、先生の目が行き届かないところで、そういうことが起こりがちなのだろうか・・・と思ったら、

 

 ルール不在説

 「鉄棒の練習していると、隣に来られて、よそへ行かなきゃいけないんだ」。

 「よこはいり(割り込み)する子がいるんだよ」。

 もともとマーは規則にうるさい。私の運転する自動車が黄信号で交差点に入ってしまっても「きいろだったよ」とか言う。「じゅんばんばん」はいつも言って聞かせていることだし、育児支援施設などではおもちゃの取り合い一つしたことがない。そんなマーは、決まりやお約束を意に介さない子が大嫌いだし、規則違反の振る舞いを見るのも大嫌い。それを先生や大人が見過ごすことが、もっと嫌いだ。

 「ブランコしようと思って待っているのに、いつまでもゆずってくれないんだよ。いつもできないんだ」。

 なるほど理不尽な話だ。

 「ジャングルジムの滑り台をしようと思っても、二年生が、一年生はやっちゃだめって言うんだ」。

 休み時間が暗黒続きだったということか。4月以来。

 そりゃあ楽しくないわねえ・・・と思ったら、

 

 孤立説

 「いーれーてって言ってみれば?」と提案してもみるが、いかにも重荷だ。

 マーには近所の知り合いも幼稚園の同窓生もいない。クラスの全員、そして学年のほとんど全員が、新学期に初めて出会った人ばかりなのである。

 顔見知りが一人もいない状況に放り込まれたら、大人だってひっこみがちになる場合があろう。私なんか絶対にそうだ。

 そもそも、「未就学時代」が完全に分断されている。保育園と幼稚園。延長保育のある幼稚園とそうでない幼稚園。うちの場合、同じ幼稚園からこの小学校に入ったのは、学年全体で、マーを含めて二人だけだった。

 100メートルほどの近所に実は同級生もいたのだが、私たちはまる6年のあいだそれを知らなかった。入学し、子ども会に入って初めてわかった。

 他方、地元の保育園などから大勢で入学してきた子たちもある。その子たちがみな仲良しというわけでもないだろうが、クラスの中の「班」でそういう子たちに囲まれると、やはり孤立感を味わうようだ。

 「じゃあ相談に行ってみよう」ということで学校に連れて行くと、担任の先生は、「じゃあ、今度、一緒に鉄棒しよう」と言ってくれた。まぁ毎回そうするわけにもゆかないだろうけれど、まぁ、「気にかけていてくれる」だけでも雲泥の差であるにちがいない・・・と思っていたら、

  

 負けず嫌い説

 「お父さん、気づいたことがある。鉄棒、ブランコ、滑り台って、みんな、先生がいないときの話じゃない? 先生が見てくれてないところでイヤなことがあるんだ」。

 「おお! なるほどおー・・・でも、先生がいてもいやなことがあるよ」。

 「ふんふん、どういうことかな」。

 「お勉強のとき、先生が、はやくできた人は、まだできてない人に教えてあげて、って言うんだ。マーはまだやっているのにAくんが答えを言っちゃうんだよ」。

 先生の指示だったのか。なるほど、と私たちには腑に落ちるものがあった。

 マーが名前をあげたKちゃんやAくんは、先生からすれば、むしろ、よく気の付く親切な子たちで、みせびらかしとかいじわるには見えない、ということだった。しかし、それでわかった。先生からすれば良い子たちの親切な行動でも、マーにとっては屈辱だったのだ。

 マーは泣き崩れた。

 「マーはいちばんできない、だめな子なんだよー、ワー(号泣)」。

 そもそもマーは負けず嫌いだ。私たちでも、へたに手伝おうものなら「自分でやりたかったんだよ!」と激怒される。先日、自転車(補助輪つき)の練習でも「自分でできたーできたー!」と小躍りしたばかりだ。

 これみよがしの子がいるのではなく、先生が指示したことだったとしたら、難題だ。それにしてもなんでまた、ひとりでやりたい盛りの年頃の子に、そんなことを。

 「だめなんかじゃないぞ、ひらがなのプリントで100点もらったじゃない」。

 「ほんとうは100点じゃないよう。なおされてるもん」。

 たしかに赤マジックで模範例を書き込んであったりする。そりゃ、いくら6歳児でも文字通りの100点とは思わないだろう。

 当初、「先生がニコってしてくれるから好き」と言っていたのだが、だんだんそう言わなくなっていた。

 そうこうしているあいだにも、毎日一枚ずつあるプリントの「宿題」が着実にたまっていく。もう何枚になったろうか。これ自体、気の重くなる話だろう・・・

 と、思っていたら、

 

 ともだち幻想説

 幼稚園ではクラスメートのことを「おともだち」と呼んでいた。なにかにつけ主語は「みんな」だった。

 「おともだちではない同級生」を指す言葉をマーはまだ知らない。

 「おともだちが遊んでくれないんだよ」。

 そこだけ聞くと仲間はずれになっているように聞こえる。しかし、「誰と遊ぼうって言ったの」と尋ねると、「いろんな人に言ったから誰だったか覚えてない」そうだ。

 「それはね、まだおともだちじゃないってことだと思うよ。これからゆっくり、ともだちになればいいんじゃない? それに、おともだちは一人か二人いればいいと思うよ」。

 「でもね、おともだちになろうって言う子がいたんだよ。なのに次の日、遊んでくれないんだ」。

 「その子、なんていう子?」。

 「よく知らない」。

 どうやら、その子も、あちこちで「おともだちになろう」を連発しているらしい。

 なるほど、一年生になったら「ともだち100人」できるかな、という歌も、こうしてみると裏目である。

 まぁ、孤立しているのはうちのマーだけじゃない、ということかもしれない。

 「だからマーだけじゃないんじゃない?」

 「マーだけだよう! ワーン」

 おともだち幻想からどうやって抜け出すべきか・・・と考えていたら、

 

 置いてかれ感、説

 とにかく気ぜわしかった。

 毎日、淡々と授業が進んでいくようなわけではない。今日は集団健診、今日はなかよし学級、今日は運動会の予行演習・・・のように、「行事」がけっこうある。時間割がその日になって変更になったこともあった。

 もともと、子どもは予定が途中で変わることが苦手なものだと思う。

 毎日のペースがつかめる前にどんどん行事が入ってくるのは、私だってイヤだ。ちょっと乗り遅れていると、たちまちワケがわからなくなるのではないだろうか。いま学校に行ったら何が進行しているのか予想できない。これは不安だろう。

 休む→すこし罪悪感や劣等感がある+おいてけぼり感が増す→顔を出しにくい→休む、というスパイラルが発生してしまっている面もあるだろう

 そのうえ、「代表」というものが幼稚園時代にはあった。行事ごとに異なるのだが、まあとにかくクラスの「代表」として、何かしたり言ったりする。たとえばお遊戯会のとき、開会のおりに、保護者席に向かって「今日はごゆっくりごらんください」のような挨拶をする、といったように。これは、できるだけ特定の子に偏ることなく、いわば順繰りにあてられる。

 マーは年中からの編入園(?)ということもあったのか、なかなか「代表」がまわってこなかった。他の子、とくにライバルの子が代表になるのに自分は代表になれない。そこにおいてけぼり感覚が発生したようだった。

 小学校でも、なかなか「代表」や「リーダー」になれないとぼやいていた。

 「代表とリーダーはどっちがえらいの?」

 「なんの代表、どんなリーダーか、でちがうんじゃない?」

 「1班の班長がAくんだから、ろくでもないよ。誰を代表にするか決めるとき、Aくんが、自分がやりたいと言って、班長になったんだよ。マーもやりたかったんだよ。でもそう言えなかった」。

 どうもこのAくんがマーにとっては「天敵」らしかった。ときどき「マーちゃーん」と何人かの男の子が駆け寄ってきたりするから、けっこう人気者なのではないかと思うが、しかし、マーとしては、その手の子がまさに気に障る存在らしかった。Aくんはその1人だった。

 担任の先生は、しょっちゅう「班」とか「席」を入れ替えて、問題的な関係が固定しないように気を配ってくれた。

 加えて「代表」問題についての先生の工夫は見事だった。ある日、夕方、誰もいなくなった教室で面談の時間を作ってくれ、「じゃあクラブを作ろう」という話になった。

 他にもいろいろ、おりがみクラブとか工作クラブなどを作り始めていたのだが、マーの得意なピアニカの練習をする「けんばんクラブ」を作り、マーがその「部長」になって、部員を募集する、というのだった。さっそくポスターも作って貼ってきた。

 「なるほどねえ、知恵があるねえ」

 感心してみていたら、次の日、「入部希望」のところにひときわ大きく、「A」くんのサインがあった。

 はてさて・・・

 

 最後は多少むりやりに

 そんなことが7月上旬から7月中ごろまで。

 このまま夏休みになるのはさすがにまずい。先生が対応してくれていることもあるので、すこし力わざのオンブで連れて行った。

 昇降口に着いてもいやがっていたが、そのうちなんとかなった。

 翌日、同じようにしてみたら、それほど抵抗しなくなった。

 翌々日、だんだん大丈夫になってきた。

 すこしは「やれる」という自信にもなったようだった。

 話を聞くのも大事だが、それがそのまま家に係留することになってもいけなかろう。その加減が難しい。

 

 「ゆっくり、焦らず」とはよく言うけれど

 マーの行動にはかならず理由がある。「わけがわからない」ことなんか絶対にない。ただ、それがはっきりしないだけ。いや、どれも本当のことを言い当ててはおらず、ただちょっとくたびれてきただけ、かもしれない。

 私たちがうろたえていてはいけない。どっしりかまえなきゃ。

 私などよりよっぽど立派。こんなにお話ができ、考える力のある子に育ててきたことを、誇りにするべきなのだろう、とも思う。

 けれども、一週間ほど行かないだけで、どれだけ「なぜこんなことに」とうろたえてしまうことか。そのうろたえが、子どもにどれだけ「お前がどれほどだめになってしまったか」と語りかけてしまうことか。親の態度の問題もあったろう。

 さらに、父=夫側から「ゆっくり、焦らず」を言うことが、どれだけ妻=母に対する負担の押しつけになってしまうことか。

 ま、そういうわけで、とりあえず仕事をカット。家庭時間を増に転じないと。

 もちろん、その時間的・精神的なストレスは「なんとかする」しかない。その点、こういう趣味があって良かった。「作品」のネタにできてしまうのだから。

 

「参議院議員のWさんが」

おっと・とっと 子育て 身振り手振り

 今はもうあっというまに昔の、でもまだ1年とたっていない、娘の幼稚園時代のこと。

 

 年中時代、運動会

 「参議院議員のWさんがお見えになっています。いや、親御さんとして、ですけれども」。
 運動会のあいさつで、園長先生が、確か、そう言った。

 私は行事のたびにビデオをまわすといった習慣を持っていないので、その言葉が「そのとおり、そのまま」だったかどうか、今はわからない。いや、必ず、どこかがちがうだろう。しかし、だからといって「まるでちがう」ことはないだろうし、まして私だけが聞いた幻聴というわけでもないだろう。

 --おや?、と、一瞬、思う。こんな場にふさわしくない発言だな、あまりにも唐突だし、と。
 いや、きっと、とちっちゃっただけなのだ、と思い直す。

 園長先生も、高いところに立っていたから、ベテランといえども緊張していて、つい、そう、たまたまWさんと直前に顔を合わせてご挨拶していたとか、ふと目があったりなんかして、それで言い及んでしまっただけにちがいない、と。

 まさか、議員を特別視しているわけではないだろう。いわんや、園長先生が、個人として特定の政治家や政党を支持していて、いやそれは誰もにとってありうることだから全くかまわないのだが、しかし、その個人としての政治的信条・判断にしたがってW氏を紹介したなどということが、この幼児教育という公の場で、しかも公の肩書きで皆に挨拶している立場でおこなわれることなど、あろうはずがない。

 だからきっと、とちっちゃっただけなのだ。もし、それがたまたま松芝産業(仮名)に勤務している鈴木さん(架空の人物)だったら「松芝にお勤めの鈴木さんが、いや今日は親御さんとして」といった紹介になったのであろう。いや、固有名詞をあげるのはまずかろうから、「総合電機産業にお勤めの鈴木さん」のようになったのかもしれない。さっきも「参議院議員」ではないか。

 いや、それでも、もしライバル会社の社員とか対立する政党の候補者などがこの園庭に集まった保護者の中にいたら、W氏や鈴木氏のケースにだけ言及するというのはいかにも公平性に欠けた振る舞いになるだろう。だから、特定の人の職業に言及することじたい、私たちがまさにその園児の「保護者」であるという限りにおいて集っているこの場にとって、非常に「場違い」であるにちがいない。

 それとも、園長先生は純粋に心からこのW氏を尊敬していて、あるいはそこに「有名人」がいるということに配慮して、だからそんな発言になったのだろうか。

 いやいや、まさか、そんな素朴なことが。だからきっとこれは失言にちがいない。「親御さんとして」とすぐさま訂正したではないか・・・。

 

 年長児代、運動会

 一年後。やはり運動会の開会挨拶の中で、園長先生がやっぱり言った。

 「参議院議員のWさんが後援会長をお引き受けくださり、ご臨席いただいています」。

 これも録音記録があるわけじゃないので「そのまま」とは限らないのだが。

 いやいや、これとてやはり、後援会長がたまたま参議院議員であるという、その事実をありのままに述べているだけのことであって、だから他の職業の人ならたとえば「金融関係にお務めの佐藤さんが後援会長に」となったにちがいない・・・

 ・・・だろうか?

 事後のアンケートで私は「非常に場違いだ」と書いた。もちろん、それはW氏の政治的立場や政見に関係のないことだ。
 それとも、これが世間では「普通」のことであって、違和感を覚える私のほうが「場違い」なのであろうか?

 

 卒園式

 しばらく後の、卒園式。

 後援会長の挨拶になったとき、今度はW氏がみずから言った。「私は政治家」と。

 確かこんな内容だったと思う。「これからの教育が大事ではないかと思います。私も調べてみました。いろいろ工夫がなされてきていると思います。しかし、社会で生きる力をもっと強調したらいいんじゃないかと思います。私も政治家なのでがんばらないといけませんが」。

 なるほど「社会で生きる力」に異論をはさむ余地などないかもしれない。しかし、だとしたら、たまたま小児科医をしている後援会長が「健康が大切だと思います。私も医者なんで注意しているところですが」とか、出版社に勤務する後援会長が「文化が大事だと思います。うちも出版社なんでがんばっているところですが」などのように、自分の職業について言及し、その見地から一言、何かメッセージをすべりこませたとしても、単に一個人として信条なり決意を述べただけであって、ここに集っている人々に何かをアピールしているわけでも何かを求めているわけでもない、とでも?

 そこには何かの利害得失が想像されるとはいえ、固有名詞をあげたり露骨に宣伝がましいことを言ったりしない限りは、その発言に利害得失を読んでしまうほうが失礼なのであり、それがたとえ政見をたたかわせるべき職業に従事していることを自ら表明する人の声であっても、誰もが賛成しうる言葉を選び取っている限り、そこに何か政治的意図を感じ取るほうが邪推とか「政治的偏向」というものであり、不偏不党の立場で園児たちのためにがんばってくれている人に対する侮蔑である、とでも?

 身内・地元の政治家は皆でもり立て応援すべきなのだ、とでも?

 

 政治的カマトトの強制

 「親御さん」から「私も政治家」へ。「後援」に講演が一言。

 それはこうして、政治的カマトトの偽装のもと、誰も中座することもできなければ発言することもできない公式行事と儀式の場を借りた「一言すべりこませる」という実践の繰り返しによって、達成された。

 

思考の枠組: 「障害者に優しく」とカラーユニバーサルデザイン

身振り手振り

www.nikkei.com

 伝えられている内容そのものは良いことだとしても、それを受け止める報道・思考の型が、15年前と変わっていない。バリアフリーユニバーサルデザインの概念的混乱もあろう。「障害」カテゴリーを適用することによる正当性の獲得と、家父長主義的(温情主義的)「優しい社会」の論理。そうではなく、まずは課題の公共性を強調すべきだろう。大津波警報ですらまちまちの色で放送されたことがもう忘却されてしまっているのだろうか(まぁ、それですら「色覚障害者」の問題、と報道されてしまったのだったが)。

 この違和感を表明する際にも注意が必要になる。第一に、「障害者」扱いが心外だ、と述べて、意図せず自分と「障害者」とを切り離してしまう落とし穴と、第二に、善意を批判することに対するラベリングとが、そこに待ち受けている。正常/異常に関する自明な境界線による切り離しがすでにそこに埋め込まれていること、しかもそれが「優しい」という言葉によって守られていることが、その落とし穴を構成している。

 もう一つ。色覚少数者の雇用はいまどうなっているのだろうか。私生活上での消費者、公共空間でのサービスの受け手として「のみ」とりあげ、生産や労働の問題(そこでの合理的配慮など)には触れないというのでは、今日水準の「差別解消」論として、果たしてどうか。

(拙facebookより)

英語で授業してみたら

身振り手振り

 先日の授業、初めて英語で話すはめになった。無理を承知で、こんな英語、へたっぴいで見てられないにちがいない、と思いながら。

 なんでも日本語を前提としない留学生受け入れプログラムが動き始めているのだという。それで「できるだけ英語対応」、少なくとも資料は英語で、という指示があったのだった。

 私はむやみな英語化には断固反対である。しかし、そのプログラム以外でも、気づいてみたら受験生の半分くらいが留学生。(大学院です)。うちの研究室は、入試科目にはないけれども実際上、日本語を課しているが、そうではない研究室もある。受け入れておいて対応しないというのも学生からしたら理不尽な話だろう。それにこれは全員必修の授業の一コマだ。

  というわけで対応することにした。前半、パワポでの話は日本語主体だがスライドに英訳をできるだけ入れ、後半は自作の英文を読み上げる形で英語主体。

 自信が持てる程度のシンプルな英語にしようとしたら内容までシンプルなものになりかねず、さりとて話の質を落とさないで上手に表現できているのかどうか、はなはだ自信が持てない。すこぶるストレスフルな準備、実行とあいなった。

 100人と少しの受講生のうち、要約や感想を書いてもらうコメントペーパーを見ると、10名少しが英語記入。留学生はもっと多いが、日本語で書いている人も珍しくないので、この10名少しはまだ日本語に慣れていない人たちにちがいない(上述プログラムの学生かどうかはわからない)。

 そうか、1割以上いるとなると・・・

 と思って読んでみると、その10名少しのうち1~2名は、その英語があやしい。主語動詞の基本構造さえ作れていない。まぁ、私と同じく読むのと書くのは大違い、という事情もあるのかもしれないが、それにしても。

 要約や感想を見る限り、全受講生の9割以上くらいには大意が伝わっているみたいだから、私の英語がでたらめすぎて意味不明、というのでもなさそうだ。

 考えてみれば、「留学生=英語」という前提そのものが「外国人=英語」という前提と同じほど、陳腐ではなかろうか。そもそも、留学生の大半は、中国、台湾、韓国など、お隣の国々の出身だ。それらの留学生のうち日本語記入した人にとっては、母語+日本語+英語の3つが求められたことになる(少数民族出身とかになると母語母国語がまた異なるので4つ)。もともと入試に英語が入っているとは言え、学生時代の私などにはできない芸当だ。

 「わかりやすい平易な日本語で対応」という選択肢もあってよいのではあるまいか。

「意識」の問題?: ①再蹂躙

身振り手振り

 日ごろ、いじめやセクハラに関して「とにかく相手が不快だと受け止めたら問題なのだ」式の説明に時々出会う。
 一見、被害者の声を尊重しているように見える。しかし、その説明の日常的使用法には危険な落とし穴が潜んでいよう。
 この言い方はすぐに裏返って「相手が不快だと感じていなければ問題はないのだ」という論理、さらに転じて「相手が不快だと感じたばかりに自分が加害者にされてしまった」という論理を言外に構成し、事実上、攻撃性を追認ないし無垢化するために作り替え、流用・転用できてしまうからだ。

 「差別」についても似た論理を聞く。「差別とは相手がそれを差別だと受け止めることだ」。

 で、えてしてこうした論理は次に、当事者にその「意識」や「認識」を問おうとする。

 しかし、不快や疑問を表明することがいかに難しいか。

 問題の問題性に気づくことができない日常に当事者がいかに放置され孤立していることか。
 むしろ、その意識や認識に対する問いがどれほど「このくらいは普通の、よくあることではないのか」との倍音を響かせていることか。

 こうした社会的諸力の複合に強制された沈黙をもってどれだけ現状が追認されていることか。
 「受け止め方」が論題にされることで、どれだけ事態や行動の事実が不問に付されてしまっていることか。
 逆に、そもそも可視化しづらい内面が問い質されることで、なぜそれを表現しないのだという責めたてにどれだけ当事者がさらされてしまうことか。
 問題の問題性に気づき、それを表現するために、当事者が学習したり集合したりし始めたら、それがどれだけ「偏向」だというまなざしにさらされてしまうことか。
 そのまなざしはどれほど攻撃性を冤罪の論理で覆い隠す準備をしていることか。

 つまり、これがどれほど「再蹂躙」でありうることか。

 --反省能力に欠如した「じゃあ当事者に気持ちを聞いてみよう」式の「意識調査」の問題点は、安易な「アンケート」にしばしば見られる手順や技術の誤りにばかりあるのではない。そもそもの問題の立て方、「意識」なるものに対する態度、感受性、理論的構えが素朴で幼稚すぎることにある。

不登園の理由

おっと・とっと 子育て

 五歳児とその世界もなかなか複雑なもので。

 年中の秋、9月の終わりから12月の始め頃まで、幼稚園に行かなかった。確か秋の運動会が終わった次の週。本人も行く気だったらしく玄関まで出て来たのだが、そこでぷいと逃げ回るようにして、行かなかった。いつものぐずりとはちがうなと直感したが、最初からその後二ヶ月以上続くことの初日だとはわかるはずもない。まぁ明日は行くだろうと思っていたが、同じ。次の日も、次の日も、その次の日も。それが一週間になる。二週間になる。気がつくと一ヶ月になる。

 生活も気持ちも(くわえて経済状態も)ボロボロになりながら、どうしてこうなったんだろうと、必死で考え、話し合った。でも、結局、わからなかった。それから一年以上過ぎたいま、わからないものなのだろう、へんにわかろうとするほうがおかしいのではないか、と私は思う。

 仮説はいろいろあった。

 1)孤立説: 年中から入園したマーは初日からつまづき(幼稚園のお手洗いに入れなかった。うちでも無認可保育園でも平気だったのに)、孤立しがちだった。そこでお友達になってくれたのがAちゃんだった。ところが、そのAちゃんが、お母さんのふるさと、インドネシアに帰ってしまった。延長保育の先生はこの友人喪失説で解釈しているようだった。

 2)病気説: ちょうど、中耳炎がひどかった。滲出性となり、病院で切開による膿み出しを繰り返し、最後にチュービング手術となった。休みがちだったのと、手術で何日かまとまって休んだので、復帰しそびれた。

 3)髪型説: 最初、クラスの女の子でマーだけが短髪だった(それもお父さんの散髪でへたくそだ。ほどなく理髪店に行けるようになった)。途中から入ると流行に乗り遅れているのである。秋、教育実習に来た先生が短髪で、親しくしていたのだが、運動会を回ったところで実習期間が終わり、短髪仲間がいなくなってしまった。

 4)粗暴な遊び説: 粗暴な遊びをする男の子グループがあって、「バンバン」という撃ちあいごっこをしている。それは私も幼稚園へ送っていったときに何度か見た。先生の目が届かないところで、その標的にされたのではないか。かなりあとになってだが、マーが自分の言葉で話したのはこれだけであった。「友達がバンバンする」。それだけではよくわからないので演技してもらうと、Aちゃんと一緒にお花を見ていたらそこへ後ろから至近距離で「バンバン」された模様。これは確かに怖そうだ。しかし、園庭に二人並んで見るような花壇はない。これは園外保育で訪れた公園でのできごとかと思われた。

 5)粗暴な遊び説2: しかし、その「公園」には2つの可能性があった。Aちゃんと一緒だったということから推して、最近の(Aちゃんと一緒は最後となった)園外保育か、そうでなければ、それは春の遠足のことだ。これには母親が同伴していて、Aちゃん母子と二組、隣り合わせでシートを広げて一緒にお昼を食べた記念写真が残っている。その帰り、帰りのバスのなかで「バンバン」していたという。

 6)親友との不和説: 日誌を見直すと、その春の遠足の翌日も非常にぐずったことがわかった。しかし、送り担当の私は、その日、そのエピソードについて知らないままだった。それでAちゃんと何かあったのかもしれない、と思って、先生に遅刻の事情説明がてら、そう話した。これは4や5が登場するまで有力な仮説だったが、5のエピソードが秋になって明らかになると大きく後退した。

 7)不快説: マーには生真面目なところがある。私が運転する車に乗ると、「ここ40までだよ」のように言う。つまり「交通ルールを守らない人がいるのが不快」。これと同様に「お友達がバンバンする」というのも、マーが標的にされたというばかりではなく、そういう男の子たちの振る舞いを見るのがいや、ということかもしれなかった。そういえば、禁止されている「ブランコの立ち乗り」をするお友達がいることについても、とてもいやそうに話していた。「男の子がうるさい」ともいう。

 8)運動会説: 運動会が原因かもしれない。年中から入ったマーにとって運動会は初めて。序列が付けられる初めての経験となる徒競走(障害物競走)で、マーは三人中二位だった。閉会のときには全員に「金メダル」が送られたけれども、順番をくつがえすことはできまい。それが非常に悔しかったらしい。あるいは、一番でない子は落第、もう行ってはいけないのだと思い込んだフシもあった。

 9)「お友達」の窮屈説: それは単に初めてのことだったから、あるいはマーがまけずぎらいだったから、というだけのことではなく、なにかにつけて自分の優位を誇示するお友達がいて、それで自分の運動会の成績がますますマイナス経験になった。次の行事、12月に予定されているお遊戯会も、それで憂鬱になった。

 10)「登園」不安説: もっと気楽に休ませてもよかったのかもしれない。無認可保育園時代にも何度か非常にぐずったことがあって、それでも無理に連れて行った。行けば楽しく遊ぶのだが、「登園」が不安になったのではないか。今回も玄関先で何度も何度も小競り合いになり、「なぜなの」と問い詰めるような会話にもなった。これがいやになった。

 --まだまだあるかもしれない。人間の行動を、何か1つの原因と1つの結果が対応しているような因果関係で「わかろう」とするほうが、きっと傲慢なのだ。