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82段

社会学者・徳川直人の非専門・半専門の不ぞろいエッセイと日常ジャーナル

フマンがあります: 学校が嫌いないろいろな理由

おっと・とっと 子育て

 「学校きらい! もう行かない!」。

 いろいろ話を聞いてみる。妙に表現力の進歩に感心したりする。

 

 見せつけられ説

 「鉄棒のところでKちゃんが、やってよ、って言うの」

 マーにはできないことをするように言われるのだという。

 「マーがお勉強しているのに途中でAくんが答えを言っちゃうんだよ。マーは自分でやりたいんだよ」。

 「みんなに笑われるんだよ」。

 幼稚園のころにもブランコで似たようなことがあって悔し涙を流した。「立ち乗り」ができるかどうかが深刻な問題だったのだ。

 「できる」を見せつけてくる子には、えてしてすこし離れたお兄さんかお姉さんがあった。その子たちも差を見せつけられる悔しさをかかえているのだろう、と想像したりもした。

 小学校でも、先生の目が行き届かないところで、そういうことが起こりがちなのだろうか・・・と思ったら、

 

 ルール不在説

 「鉄棒の練習していると、隣に来られて、よそへ行かなきゃいけないんだ」。

 「よこはいり(割り込み)する子がいるんだよ」。

 もともとマーは規則にうるさい。私の運転する自動車が黄信号で交差点に入ってしまっても「きいろだったよ」とか言う。「じゅんばんばん」はいつも言って聞かせていることだし、育児支援施設などではおもちゃの取り合い一つしたことがない。そんなマーは、決まりやお約束を意に介さない子が大嫌いだし、規則違反の振る舞いを見るのも大嫌い。それを先生や大人が見過ごすことが、もっと嫌いだ。

 「ブランコしようと思って待っているのに、いつまでもゆずってくれないんだよ。いつもできないんだ」。

 なるほど理不尽な話だ。

 「ジャングルジムの滑り台をしようと思っても、二年生が、一年生はやっちゃだめって言うんだ」。

 休み時間が暗黒続きだったということか。4月以来。

 そりゃあ楽しくないわねえ・・・と思ったら、

 

 孤立説

 「いーれーてって言ってみれば?」と提案してもみるが、いかにも重荷だ。

 マーには近所の知り合いも幼稚園の同窓生もいない。クラスの全員、そして学年のほとんど全員が、新学期に初めて出会った人ばかりなのである。

 顔見知りが一人もいない状況に放り込まれたら、大人だってひっこみがちになる場合があろう。私なんか絶対にそうだ。

 そもそも、「未就学時代」が完全に分断されている。保育園と幼稚園。延長保育のある幼稚園とそうでない幼稚園。うちの場合、同じ幼稚園からこの小学校に入ったのは、学年全体で、マーを含めて二人だけだった。

 100メートルほどの近所に実は同級生もいたのだが、私たちはまる6年のあいだそれを知らなかった。入学し、子ども会に入って初めてわかった。

 他方、地元の保育園などから大勢で入学してきた子たちもある。その子たちがみな仲良しというわけでもないだろうが、クラスの中の「班」でそういう子たちに囲まれると、やはり孤立感を味わうようだ。

 「じゃあ相談に行ってみよう」ということで学校に連れて行くと、担任の先生は、「じゃあ、今度、一緒に鉄棒しよう」と言ってくれた。まぁ毎回そうするわけにもゆかないだろうけれど、まぁ、「気にかけていてくれる」だけでも雲泥の差であるにちがいない・・・と思っていたら、

  

 負けず嫌い説

 「お父さん、気づいたことがある。鉄棒、ブランコ、滑り台って、みんな、先生がいないときの話じゃない? 先生が見てくれてないところでイヤなことがあるんだ」。

 「おお! なるほどおー・・・でも、先生がいてもいやなことがあるよ」。

 「ふんふん、どういうことかな」。

 「お勉強のとき、先生が、はやくできた人は、まだできてない人に教えてあげて、って言うんだ。マーはまだやっているのにAくんが答えを言っちゃうんだよ」。

 先生の指示だったのか。なるほど、と私たちには腑に落ちるものがあった。

 マーが名前をあげたKちゃんやAくんは、先生からすれば、むしろ、よく気の付く親切な子たちで、みせびらかしとかいじわるには見えない、ということだった。しかし、それでわかった。先生からすれば良い子たちの親切な行動でも、マーにとっては屈辱だったのだ。

 マーは泣き崩れた。

 「マーはいちばんできない、だめな子なんだよー、ワー(号泣)」。

 そもそもマーは負けず嫌いだ。私たちでも、へたに手伝おうものなら「自分でやりたかったんだよ!」と激怒される。先日、自転車(補助輪つき)の練習でも「自分でできたーできたー!」と小躍りしたばかりだ。

 これみよがしの子がいるのではなく、先生が指示したことだったとしたら、難題だ。それにしてもなんでまた、ひとりでやりたい盛りの年頃の子に、そんなことを。

 「だめなんかじゃないぞ、ひらがなのプリントで100点もらったじゃない」。

 「ほんとうは100点じゃないよう。なおされてるもん」。

 たしかに赤マジックで模範例を書き込んであったりする。そりゃ、いくら6歳児でも文字通りの100点とは思わないだろう。

 当初、「先生がニコってしてくれるから好き」と言っていたのだが、だんだんそう言わなくなっていた。

 そうこうしているあいだにも、毎日一枚ずつあるプリントの「宿題」が着実にたまっていく。もう何枚になったろうか。これ自体、気の重くなる話だろう・・・

 と、思っていたら、

 

 ともだち幻想説

 幼稚園ではクラスメートのことを「おともだち」と呼んでいた。なにかにつけ主語は「みんな」だった。

 「おともだちではない同級生」を指す言葉をマーはまだ知らない。

 「おともだちが遊んでくれないんだよ」。

 そこだけ聞くと仲間はずれになっているように聞こえる。しかし、「誰と遊ぼうって言ったの」と尋ねると、「いろんな人に言ったから誰だったか覚えてない」そうだ。

 「それはね、まだおともだちじゃないってことだと思うよ。これからゆっくり、ともだちになればいいんじゃない? それに、おともだちは一人か二人いればいいと思うよ」。

 「でもね、おともだちになろうって言う子がいたんだよ。なのに次の日、遊んでくれないんだ」。

 「その子、なんていう子?」。

 「よく知らない」。

 どうやら、その子も、あちこちで「おともだちになろう」を連発しているらしい。

 なるほど、一年生になったら「ともだち100人」できるかな、という歌も、こうしてみると裏目である。

 まぁ、孤立しているのはうちのマーだけじゃない、ということかもしれない。

 「だからマーだけじゃないんじゃない?」

 「マーだけだよう! ワーン」

 おともだち幻想からどうやって抜け出すべきか・・・と考えていたら、

 

 置いてかれ感、説

 とにかく気ぜわしかった。

 毎日、淡々と授業が進んでいくようなわけではない。今日は集団健診、今日はなかよし学級、今日は運動会の予行演習・・・のように、「行事」がけっこうある。時間割がその日になって変更になったこともあった。

 もともと、子どもは予定が途中で変わることが苦手なものだと思う。

 毎日のペースがつかめる前にどんどん行事が入ってくるのは、私だってイヤだ。ちょっと乗り遅れていると、たちまちワケがわからなくなるのではないだろうか。いま学校に行ったら何が進行しているのか予想できない。これは不安だろう。

 休む→すこし罪悪感や劣等感がある+おいてけぼり感が増す→顔を出しにくい→休む、というスパイラルが発生してしまっている面もあるだろう

 そのうえ、「代表」というものが幼稚園時代にはあった。行事ごとに異なるのだが、まあとにかくクラスの「代表」として、何かしたり言ったりする。たとえばお遊戯会のとき、開会のおりに、保護者席に向かって「今日はごゆっくりごらんください」のような挨拶をする、といったように。これは、できるだけ特定の子に偏ることなく、いわば順繰りにあてられる。

 マーは年中からの編入園(?)ということもあったのか、なかなか「代表」がまわってこなかった。他の子、とくにライバルの子が代表になるのに自分は代表になれない。そこにおいてけぼり感覚が発生したようだった。

 小学校でも、なかなか「代表」や「リーダー」になれないとぼやいていた。

 「代表とリーダーはどっちがえらいの?」

 「なんの代表、どんなリーダーか、でちがうんじゃない?」

 「1班の班長がAくんだから、ろくでもないよ。誰を代表にするか決めるとき、Aくんが、自分がやりたいと言って、班長になったんだよ。マーもやりたかったんだよ。でもそう言えなかった」。

 どうもこのAくんがマーにとっては「天敵」らしかった。ときどき「マーちゃーん」と何人かの男の子が駆け寄ってきたりするから、けっこう人気者なのではないかと思うが、しかし、マーとしては、その手の子がまさに気に障る存在らしかった。Aくんはその1人だった。

 担任の先生は、しょっちゅう「班」とか「席」を入れ替えて、問題的な関係が固定しないように気を配ってくれた。

 加えて「代表」問題についての先生の工夫は見事だった。ある日、夕方、誰もいなくなった教室で面談の時間を作ってくれ、「じゃあクラブを作ろう」という話になった。

 他にもいろいろ、おりがみクラブとか工作クラブなどを作り始めていたのだが、マーの得意なピアニカの練習をする「けんばんクラブ」を作り、マーがその「部長」になって、部員を募集する、というのだった。さっそくポスターも作って貼ってきた。

 「なるほどねえ、知恵があるねえ」

 感心してみていたら、次の日、「入部希望」のところにひときわ大きく、「A」くんのサインがあった。

 はてさて・・・

 

 最後は多少むりやりに

 そんなことが7月上旬から7月中ごろまで。

 このまま夏休みになるのはさすがにまずい。先生が対応してくれていることもあるので、すこし力わざのオンブで連れて行った。

 昇降口に着いてもいやがっていたが、そのうちなんとかなった。

 翌日、同じようにしてみたら、それほど抵抗しなくなった。

 翌々日、だんだん大丈夫になってきた。

 すこしは「やれる」という自信にもなったようだった。

 話を聞くのも大事だが、それがそのまま家に係留することになってもいけなかろう。その加減が難しい。

 

 「ゆっくり、焦らず」とはよく言うけれど

 マーの行動にはかならず理由がある。「わけがわからない」ことなんか絶対にない。ただ、それがはっきりしないだけ。いや、どれも本当のことを言い当ててはおらず、ただちょっとくたびれてきただけ、かもしれない。

 私たちがうろたえていてはいけない。どっしりかまえなきゃ。

 私などよりよっぽど立派。こんなにお話ができ、考える力のある子に育ててきたことを、誇りにするべきなのだろう、とも思う。

 けれども、一週間ほど行かないだけで、どれだけ「なぜこんなことに」とうろたえてしまうことか。そのうろたえが、子どもにどれだけ「お前がどれほどだめになってしまったか」と語りかけてしまうことか。親の態度の問題もあったろう。

 さらに、父=夫側から「ゆっくり、焦らず」を言うことが、どれだけ妻=母に対する負担の押しつけになってしまうことか。

 ま、そういうわけで、とりあえず仕事をカット。家庭時間を増に転じないと。

 もちろん、その時間的・精神的なストレスは「なんとかする」しかない。その点、こういう趣味があって良かった。「作品」のネタにできてしまうのだから。

 

「参議院議員のWさんが」

おっと・とっと 子育て 身振り手振り

 今はもうあっというまに昔の、でもまだ1年とたっていない、娘の幼稚園時代のこと。

 

 年中時代、運動会

 「参議院議員のWさんがお見えになっています。いや、親御さんとして、ですけれども」。
 運動会のあいさつで、園長先生が、確か、そう言った。

 私は行事のたびにビデオをまわすといった習慣を持っていないので、その言葉が「そのとおり、そのまま」だったかどうか、今はわからない。いや、必ず、どこかがちがうだろう。しかし、だからといって「まるでちがう」ことはないだろうし、まして私だけが聞いた幻聴というわけでもないだろう。

 --おや?、と、一瞬、思う。こんな場にふさわしくない発言だな、あまりにも唐突だし、と。
 いや、きっと、とちっちゃっただけなのだ、と思い直す。

 園長先生も、高いところに立っていたから、ベテランといえども緊張していて、つい、そう、たまたまWさんと直前に顔を合わせてご挨拶していたとか、ふと目があったりなんかして、それで言い及んでしまっただけにちがいない、と。

 まさか、議員を特別視しているわけではないだろう。いわんや、園長先生が、個人として特定の政治家や政党を支持していて、いやそれは誰もにとってありうることだから全くかまわないのだが、しかし、その個人としての政治的信条・判断にしたがってW氏を紹介したなどということが、この幼児教育という公の場で、しかも公の肩書きで皆に挨拶している立場でおこなわれることなど、あろうはずがない。

 だからきっと、とちっちゃっただけなのだ。もし、それがたまたま松芝産業(仮名)に勤務している鈴木さん(架空の人物)だったら「松芝にお勤めの鈴木さんが、いや今日は親御さんとして」といった紹介になったのであろう。いや、固有名詞をあげるのはまずかろうから、「総合電機産業にお勤めの鈴木さん」のようになったのかもしれない。さっきも「参議院議員」ではないか。

 いや、それでも、もしライバル会社の社員とか対立する政党の候補者などがこの園庭に集まった保護者の中にいたら、W氏や鈴木氏のケースにだけ言及するというのはいかにも公平性に欠けた振る舞いになるだろう。だから、特定の人の職業に言及することじたい、私たちがまさにその園児の「保護者」であるという限りにおいて集っているこの場にとって、非常に「場違い」であるにちがいない。

 それとも、園長先生は純粋に心からこのW氏を尊敬していて、あるいはそこに「有名人」がいるということに配慮して、だからそんな発言になったのだろうか。

 いやいや、まさか、そんな素朴なことが。だからきっとこれは失言にちがいない。「親御さんとして」とすぐさま訂正したではないか・・・。

 

 年長児代、運動会

 一年後。やはり運動会の開会挨拶の中で、園長先生がやっぱり言った。

 「参議院議員のWさんが後援会長をお引き受けくださり、ご臨席いただいています」。

 これも録音記録があるわけじゃないので「そのまま」とは限らないのだが。

 いやいや、これとてやはり、後援会長がたまたま参議院議員であるという、その事実をありのままに述べているだけのことであって、だから他の職業の人ならたとえば「金融関係にお務めの佐藤さんが後援会長に」となったにちがいない・・・

 ・・・だろうか?

 事後のアンケートで私は「非常に場違いだ」と書いた。もちろん、それはW氏の政治的立場や政見に関係のないことだ。
 それとも、これが世間では「普通」のことであって、違和感を覚える私のほうが「場違い」なのであろうか?

 

 卒園式

 しばらく後の、卒園式。

 後援会長の挨拶になったとき、今度はW氏がみずから言った。「私は政治家」と。

 確かこんな内容だったと思う。「これからの教育が大事ではないかと思います。私も調べてみました。いろいろ工夫がなされてきていると思います。しかし、社会で生きる力をもっと強調したらいいんじゃないかと思います。私も政治家なのでがんばらないといけませんが」。

 なるほど「社会で生きる力」に異論をはさむ余地などないかもしれない。しかし、だとしたら、たまたま小児科医をしている後援会長が「健康が大切だと思います。私も医者なんで注意しているところですが」とか、出版社に勤務する後援会長が「文化が大事だと思います。うちも出版社なんでがんばっているところですが」などのように、自分の職業について言及し、その見地から一言、何かメッセージをすべりこませたとしても、単に一個人として信条なり決意を述べただけであって、ここに集っている人々に何かをアピールしているわけでも何かを求めているわけでもない、とでも?

 そこには何かの利害得失が想像されるとはいえ、固有名詞をあげたり露骨に宣伝がましいことを言ったりしない限りは、その発言に利害得失を読んでしまうほうが失礼なのであり、それがたとえ政見をたたかわせるべき職業に従事していることを自ら表明する人の声であっても、誰もが賛成しうる言葉を選び取っている限り、そこに何か政治的意図を感じ取るほうが邪推とか「政治的偏向」というものであり、不偏不党の立場で園児たちのためにがんばってくれている人に対する侮蔑である、とでも?

 身内・地元の政治家は皆でもり立て応援すべきなのだ、とでも?

 

 政治的カマトトの強制

 「親御さん」から「私も政治家」へ。「後援」に講演が一言。

 それはこうして、政治的カマトトの偽装のもと、誰も中座することもできなければ発言することもできない公式行事と儀式の場を借りた「一言すべりこませる」という実践の繰り返しによって、達成された。

 

思考の枠組: 「障害者に優しく」とカラーユニバーサルデザイン

身振り手振り

www.nikkei.com

 伝えられている内容そのものは良いことだとしても、それを受け止める報道・思考の型が、15年前と変わっていない。バリアフリーユニバーサルデザインの概念的混乱もあろう。「障害」カテゴリーを適用することによる正当性の獲得と、家父長主義的(温情主義的)「優しい社会」の論理。そうではなく、まずは課題の公共性を強調すべきだろう。大津波警報ですらまちまちの色で放送されたことがもう忘却されてしまっているのだろうか(まぁ、それですら「色覚障害者」の問題、と報道されてしまったのだったが)。

 この違和感を表明する際にも注意が必要になる。第一に、「障害者」扱いが心外だ、と述べて、意図せず自分と「障害者」とを切り離してしまう落とし穴と、第二に、善意を批判することに対するラベリングとが、そこに待ち受けている。正常/異常に関する自明な境界線による切り離しがすでにそこに埋め込まれていること、しかもそれが「優しい」という言葉によって守られていることが、その落とし穴を構成している。

 もう一つ。色覚少数者の雇用はいまどうなっているのだろうか。私生活上での消費者、公共空間でのサービスの受け手として「のみ」とりあげ、生産や労働の問題(そこでの合理的配慮など)には触れないというのでは、今日水準の「差別解消」論として、果たしてどうか。

(拙facebookより)

英語で授業してみたら

身振り手振り

 先日の授業、初めて英語で話すはめになった。無理を承知で、こんな英語、へたっぴいで見てられないにちがいない、と思いながら。

 なんでも日本語を前提としない留学生受け入れプログラムが動き始めているのだという。それで「できるだけ英語対応」、少なくとも資料は英語で、という指示があったのだった。

 私はむやみな英語化には断固反対である。しかし、そのプログラム以外でも、気づいてみたら受験生の半分くらいが留学生。(大学院です)。うちの研究室は、入試科目にはないけれども実際上、日本語を課しているが、そうではない研究室もある。受け入れておいて対応しないというのも学生からしたら理不尽な話だろう。それにこれは全員必修の授業の一コマだ。

  というわけで対応することにした。前半、パワポでの話は日本語主体だがスライドに英訳をできるだけ入れ、後半は自作の英文を読み上げる形で英語主体。

 自信が持てる程度のシンプルな英語にしようとしたら内容までシンプルなものになりかねず、さりとて話の質を落とさないで上手に表現できているのかどうか、はなはだ自信が持てない。すこぶるストレスフルな準備、実行とあいなった。

 100人と少しの受講生のうち、要約や感想を書いてもらうコメントペーパーを見ると、10名少しが英語記入。留学生はもっと多いが、日本語で書いている人も珍しくないので、この10名少しはまだ日本語に慣れていない人たちにちがいない(上述プログラムの学生かどうかはわからない)。

 そうか、1割以上いるとなると・・・

 と思って読んでみると、その10名少しのうち1~2名は、その英語があやしい。主語動詞の基本構造さえ作れていない。まぁ、私と同じく読むのと書くのは大違い、という事情もあるのかもしれないが、それにしても。

 要約や感想を見る限り、全受講生の9割以上くらいには大意が伝わっているみたいだから、私の英語がでたらめすぎて意味不明、というのでもなさそうだ。

 考えてみれば、「留学生=英語」という前提そのものが「外国人=英語」という前提と同じほど、陳腐ではなかろうか。そもそも、留学生の大半は、中国、台湾、韓国など、お隣の国々の出身だ。それらの留学生のうち日本語記入した人にとっては、母語+日本語+英語の3つが求められたことになる(少数民族出身とかになると母語母国語がまた異なるので4つ)。もともと入試に英語が入っているとは言え、学生時代の私などにはできない芸当だ。

 「わかりやすい平易な日本語で対応」という選択肢もあってよいのではあるまいか。

「意識」の問題?: ①再蹂躙

身振り手振り

 日ごろ、いじめやセクハラに関して「とにかく相手が不快だと受け止めたら問題なのだ」式の説明に時々出会う。
 一見、被害者の声を尊重しているように見える。しかし、その説明の日常的使用法には危険な落とし穴が潜んでいよう。
 この言い方はすぐに裏返って「相手が不快だと感じていなければ問題はないのだ」という論理、さらに転じて「相手が不快だと感じたばかりに自分が加害者にされてしまった」という論理を言外に構成し、事実上、攻撃性を追認ないし無垢化するために作り替え、流用・転用できてしまうからだ。

 「差別」についても似た論理を聞く。「差別とは相手がそれを差別だと受け止めることだ」。

 で、えてしてこうした論理は次に、当事者にその「意識」や「認識」を問おうとする。

 しかし、不快や疑問を表明することがいかに難しいか。

 問題の問題性に気づくことができない日常に当事者がいかに放置され孤立していることか。
 むしろ、その意識や認識に対する問いがどれほど「このくらいは普通の、よくあることではないのか」との倍音を響かせていることか。

 こうした社会的諸力の複合に強制された沈黙をもってどれだけ現状が追認されていることか。
 「受け止め方」が論題にされることで、どれだけ事態や行動の事実が不問に付されてしまっていることか。
 逆に、そもそも可視化しづらい内面が問い質されることで、なぜそれを表現しないのだという責めたてにどれだけ当事者がさらされてしまうことか。
 問題の問題性に気づき、それを表現するために、当事者が学習したり集合したりし始めたら、それがどれだけ「偏向」だというまなざしにさらされてしまうことか。
 そのまなざしはどれほど攻撃性を冤罪の論理で覆い隠す準備をしていることか。

 つまり、これがどれほど「再蹂躙」でありうることか。

 --反省能力に欠如した「じゃあ当事者に気持ちを聞いてみよう」式の「意識調査」の問題点は、安易な「アンケート」にしばしば見られる手順や技術の誤りにばかりあるのではない。そもそもの問題の立て方、「意識」なるものに対する態度、感受性、理論的構えが素朴で幼稚すぎることにある。

不登園の理由

おっと・とっと 子育て

 五歳児とその世界もなかなか複雑なもので。

 年中の秋、9月の終わりから12月の始め頃まで、幼稚園に行かなかった。確か秋の運動会が終わった次の週。本人も行く気だったらしく玄関まで出て来たのだが、そこでぷいと逃げ回るようにして、行かなかった。いつものぐずりとはちがうなと直感したが、最初からその後二ヶ月以上続くことの初日だとはわかるはずもない。まぁ明日は行くだろうと思っていたが、同じ。次の日も、次の日も、その次の日も。それが一週間になる。二週間になる。気がつくと一ヶ月になる。

 生活も気持ちも(くわえて経済状態も)ボロボロになりながら、どうしてこうなったんだろうと、必死で考え、話し合った。でも、結局、わからなかった。それから一年以上過ぎたいま、わからないものなのだろう、へんにわかろうとするほうがおかしいのではないか、と私は思う。

 仮説はいろいろあった。

 1)孤立説: 年中から入園したマーは初日からつまづき(幼稚園のお手洗いに入れなかった。うちでも無認可保育園でも平気だったのに)、孤立しがちだった。そこでお友達になってくれたのがAちゃんだった。ところが、そのAちゃんが、お母さんのふるさと、インドネシアに帰ってしまった。延長保育の先生はこの友人喪失説で解釈しているようだった。

 2)病気説: ちょうど、中耳炎がひどかった。滲出性となり、病院で切開による膿み出しを繰り返し、最後にチュービング手術となった。休みがちだったのと、手術で何日かまとまって休んだので、復帰しそびれた。

 3)髪型説: 最初、クラスの女の子でマーだけが短髪だった(それもお父さんの散髪でへたくそだ。ほどなく理髪店に行けるようになった)。途中から入ると流行に乗り遅れているのである。秋、教育実習に来た先生が短髪で、親しくしていたのだが、運動会を回ったところで実習期間が終わり、短髪仲間がいなくなってしまった。

 4)粗暴な遊び説: 粗暴な遊びをする男の子グループがあって、「バンバン」という撃ちあいごっこをしている。それは私も幼稚園へ送っていったときに何度か見た。先生の目が届かないところで、その標的にされたのではないか。かなりあとになってだが、マーが自分の言葉で話したのはこれだけであった。「友達がバンバンする」。それだけではよくわからないので演技してもらうと、Aちゃんと一緒にお花を見ていたらそこへ後ろから至近距離で「バンバン」された模様。これは確かに怖そうだ。しかし、園庭に二人並んで見るような花壇はない。これは園外保育で訪れた公園でのできごとかと思われた。

 5)粗暴な遊び説2: しかし、その「公園」には2つの可能性があった。Aちゃんと一緒だったということから推して、最近の(Aちゃんと一緒は最後となった)園外保育か、そうでなければ、それは春の遠足のことだ。これには母親が同伴していて、Aちゃん母子と二組、隣り合わせでシートを広げて一緒にお昼を食べた記念写真が残っている。その帰り、帰りのバスのなかで「バンバン」していたという。

 6)親友との不和説: 日誌を見直すと、その春の遠足の翌日も非常にぐずったことがわかった。しかし、送り担当の私は、その日、そのエピソードについて知らないままだった。それでAちゃんと何かあったのかもしれない、と思って、先生に遅刻の事情説明がてら、そう話した。これは4や5が登場するまで有力な仮説だったが、5のエピソードが秋になって明らかになると大きく後退した。

 7)不快説: マーには生真面目なところがある。私が運転する車に乗ると、「ここ40までだよ」のように言う。つまり「交通ルールを守らない人がいるのが不快」。これと同様に「お友達がバンバンする」というのも、マーが標的にされたというばかりではなく、そういう男の子たちの振る舞いを見るのがいや、ということかもしれなかった。そういえば、禁止されている「ブランコの立ち乗り」をするお友達がいることについても、とてもいやそうに話していた。「男の子がうるさい」ともいう。

 8)運動会説: 運動会が原因かもしれない。年中から入ったマーにとって運動会は初めて。序列が付けられる初めての経験となる徒競走(障害物競走)で、マーは三人中二位だった。閉会のときには全員に「金メダル」が送られたけれども、順番をくつがえすことはできまい。それが非常に悔しかったらしい。あるいは、一番でない子は落第、もう行ってはいけないのだと思い込んだフシもあった。

 9)「お友達」の窮屈説: それは単に初めてのことだったから、あるいはマーがまけずぎらいだったから、というだけのことではなく、なにかにつけて自分の優位を誇示するお友達がいて、それで自分の運動会の成績がますますマイナス経験になった。次の行事、12月に予定されているお遊戯会も、それで憂鬱になった。

 10)「登園」不安説: もっと気楽に休ませてもよかったのかもしれない。無認可保育園時代にも何度か非常にぐずったことがあって、それでも無理に連れて行った。行けば楽しく遊ぶのだが、「登園」が不安になったのではないか。今回も玄関先で何度も何度も小競り合いになり、「なぜなの」と問い詰めるような会話にもなった。これがいやになった。

 --まだまだあるかもしれない。人間の行動を、何か1つの原因と1つの結果が対応しているような因果関係で「わかろう」とするほうが、きっと傲慢なのだ。

入学顛末記: だからいいですそこまでしていただかなくても

おっと・とっと 子育て
 入学式

 いま小学校の入学式ってこんなものなのか(1)。

 校長先生は学校のマスコットキャラクターの小さなぬいぐるみ(ゆるキャラ)を取り出して腹話術のように話し、担任陣はグループになってお芝居形式の挨拶をする。

 その後、教室に移動して、担任の先生のお話。黒板にはなにやらリボン付きの巻紙が貼ってある。めくるとだんだん校長先生の名前、担任の先生の名前が見えてくるという次第。クラスの「なかよし」も一枚一枚、貼り紙。保護者に向けても改めてご挨拶をいただく。

 保護者の視点から「こんなに取り組んでくれて」と思う以上に勤労者としての共感が働いて「大変だなぁ」「いいです、そこまでしていただかなくても」と思う。

 それが金曜。

 

 登校初日の出来事 事件その1

 週が明けて月曜、登校初日。私も新シーズンの開始。

 まぁ、何かが起こるだろう。これまでの経験からそう予感しながら家を出た。

 予感は見事に(いつもの通り)的中した。

 11時が下校の予定だった。かねて練習したコースの途中までキューちゃん(連れ、仮名)が迎えに出た。ところが、マー(うちの新一年生、仮名)がなかなか現れない。向こうの道を他の子が行列になって過ぎて行くのが見えたのに、出て来ない。11時15分を過ぎてもまだ来ない。11時半になっても現れない。うちから学校までは5分程度のみちのり。おかしい。

 キューちゃんは不安をおぼえ、そのへんをうろうろしながら路上で待ち続けた。

 待つこと40分。やっと担任の先生から携帯電話が入る。50分過ぎた頃、担任の先生に連れられてやっとマーが現れる。帰宅したのは12時。

 「集団下校」で一緒のグループに最後までついていってしまったらしい。

 うちは入学式のその日、「マル青コース」というのに繰り入れられた。提出した書類に記入した通学経路の地図から、そう判断されたのだ。が、実際、そのコースと一緒なのは学校の目の前の横断歩道まで。横断歩道をわたって多くの人は右折し、マーは左折すべきところ、そのままついて行ってしまったようだ。

 「マル青コース」は、主に、かなり遠くから来る子のコース。2つか3つ向こうの町内、大通りを越え、マーにとっては日ごろ車で通ったことはあるが歩いたことのないところだ。どうやらそこまで行ったらしい。

 マーには生真面目なところがある。引率の先生から「はぐれないように、一緒に歩いて」などと言われたのをそのままに受け止め、ついていったのではないだろうか。あるいは、「ここで分かれる人」のような声がかからなかったため、自分から申し出てはいけないことだと思って言い出せず、その後も分岐する人がない道が続いて、延々とついていってしまったのではないだろうか。練習した道とちがう、という時点で、混乱してしまっただろう。あれ、回り道してうちへ帰るのかな、とか。

 結局、引率の先生に連れられて学校までもどり、そこで担任の先生に引き渡され、待ち合わせのところまで送ってきてもらったという次第。

 重要なのは、私たちが、そんなこともおこりうると、聞かされていなかったことである。新一年生の一日目に、うちの子一人だけが予定時間を何十分も過ぎて戻らないとは、ほとんど「事件」ではないだろうか。

 キューちゃんによると、午後、マーが荒れて、大変だった。なんだか自分だけ忘れられたような気持ちになったのだろう。そりゃあむりもない。腹ぺこになってくるなか、何十分も歩かされ、しかも学校まで逆戻りしたのだから。

 付きそってくれた先生には恐縮だが、個別把握していないまま、「ここから分かれる人」のような声もかけないまま、そうしていたのだろうか。そのへん、非常に気になる。

 これでは、入学式でどんなにやさしい声で「みなさんにお会いできて、うれしーく思います」と挨拶していただいたって、かえってアダとなり「おまえはみんなのうちに入ってないよ」と言われたようなものではないだろうか。

 集団下校がどこまで先生方の本務なのかは知らない。入学式が特別に大切な行事だというのもわかる。けれど、なにか力の入れ加減がちがいはしないか。

 疑問に思った私たちは、学校のホームページにある学校宛メールに、「なぜこんなことが起こるのか説明してほしい」と書いた。どうせ学校の目の前までしか一緒でないなら、別のコースも同じ、そちらのほうがまだ近所の子が一緒にいるからそっちのほうがよい、とも書いた。

 加減が難しい。怒りまくりたくもなるが、責め立てる一方にならないように。でも書くと「どんな落ち度があったか調べて報告しろ」みたいな文面になってしまう。推敲に時間がかかって、夜中になる。

 

 二日目 いやがる

 二日目。私は朝一番からの仕事、それも新シーズン初のそれ。

 はずすことは普通できない仕事だが、まぁ、こういう時に限って、無事には済まないことが多い、と少しは覚悟もしていた。いままでの経験から。

 やっぱり的中した。

 「いかない」「学校いや」「こわい」「疲れたよ」「頭痛い」「眠い」

 あらゆるボキャブラリーを使って登校を拒否。こうなったらテコでも動かないのがマーだ。着替えすら拒む。玄関先で小さな攻防戦になる。

 きっと昨日のことが原因であるにちがいない。なんてこった。だからいわんこっちゃない。お芝居がかった入学式の準備をしているヒマがあるなら基礎的なところをちゃんとしろよ! と、苛立ち半分、そういう気分になってくる。

 が、こういう時こそ、一筋縄ではゆかない事情があるのではないかと想像すべきなのだ。「学校の不手際と、傷つけられた子ども」という、「いかにも」の構図に見える事態が発生してしまって、それに安住することこそ、危険である。子どもの経験をとりちがえたり単純化したりして受け取ってしまう危険がある。なにより、苛立ち、目を三角にしていたら、子どもも何も言いだせなくなり、かえって何もわからなくなる。

 こういうときはとにかく、むかむかしてくる自分を落ち着ける必要がある。そのためにはまず「刻々と迫りくる仕事の時間」を解除しなければならない。覚悟を決めて仕事を外す。「このクソ忙しいのに、大変な日に限って」も、いつものことだ。

 そのうえで、おひざをし、いろんな話をまじえながら、じっくり、ゆっくり、話をする。「本当にいやなのはねぇ」。9時過ぎだったろうか、そんな言葉が出始めた。

 話してもいいらしい、という感触をつかんだらしい。これは解決できる。

 

 登校初日の出来事 事件その2

 どうやら、昨日、下校時ではなく登校時に問題があったようだ。

 初日から遅刻ぎりぎりだったためか、学校の玄関でたまたまマー一人になってしまった。ずらりと並ぶ鉄のドア。マーによると、その一つを推して開けようとしたが、開かない。すこしたって、中を通りかかった大人が開けてくれたのだという。

 「そうだったのか。じゃあ、開け方を見てくる。開け方を教えてもらうからね」と声をかけてみた。「うん!」という返事。

 学校に出向くと担任の先生が対応してくれた。玄関のドアを見ると、「ひく」ドアだった。しかし、取っ手の近くに「ひく」とも「おす」とも書いてないから、初めてなら確かにわかりづらい。そして、子どもに開けられないほど重くはないが、確かに一年生が引くには力が要る。

 「なるほど」「これだ」となった。

 帰ると、さっきまでパジャマ姿のままだったマーはもう着替えて準備を始めていた。「開けられるよ、先生にも話しておいた」と言うと、おそるおそる「行っても、いいの?」「怒られない?」。

 なるほど。玄関のドアが開かなかったのは「遅刻した人は来ちゃいけません」という「罰」だと受け取ったらしい。そして今日もぐずるうちに「遅刻」してしまったので、「もう入れない」「先生が怒って閉めたにちがいない」と思い込んだようだ。

 「大丈夫だ」と言って聞かせたら笑顔になって登校した。担任の先生がお願いしておいてくれたのだろう、教務主任の先生が待ち受けてくれており、ドアの話もわかっていた。

 「ひくんだったのか!」とマーも笑った。担任の先生が玄関まで来て笑顔で迎えてくれた。「ほーら、怒られないぞ」。

 やっと一件落着。 

 それにしても初日の朝、玄関で見ていてくれる先生の一人もいなかったのか。

 

 図と地の対比効果

 そういえば、テレビで、のび太の先生は、のび太が遅刻すると、怒ってばかり。カツオくんもしかられてばかり。テレビのサザエさんでは「廊下に立たせる」という違法行為すらお決まりの構図だ。

 「学校ってこわいところ」。そういうイメージを、そこから学んでしまっていたのかもしれない。

 だから、「やさしい先生」でいてくれることは、本当にありがたい。私たちの「苦情」に対しても、先生方はみなどこまでも低姿勢、まずは深々と頭をさげて丁寧にあやまってくださる。

 しかし、ここにある問題の第一は、知識と現実との乖離だろう。

 ここにいう「知識」とは正しい知識とは限らない。今の例のように、「遅刻する」→「先生は理由も聞かずに怒る」といったように、「行為の一連のつながりについての予想」である。また、「遅刻とは絶対的な悪なのだ」という「そこにある論理的前提」である。どんな理由があろうと遅刻は許されないのだという知識が、6歳児の頭にはすでに入っている。廊下に立たされるカツオくんの姿は、「こんな悪い子はもう教室に入ってはいけないのだ」と語っているだろう。

 問題の第二は、「やさしい学校」の論理的効果である。

 テレビの中では、「こわい学校」が、のび太のおおらかさやカツオくんのたくましさを、なんと引き立てていることか。

 そんな演劇論的観点から現実を見ると、いまはむしろ逆である。入学式ではゆるキャラが登場し、教室では先生がやさしい口調で「みなさんに会えて幸せです」と言ってくれる。これでは、テレビとは反対に、「そんなにまでしてもらっているのに登校できないなんて」といった構図になる。

 色見本の例でたとえたら、同じ灰色でも、暗い地におかれると明るく見え、明るい地に置かれたら暗く見える。「対比」である。

 同じ「不登校」でも、かつてのように、学校がいかにも悪者の「管理教育」「受験競争」の場としてあれば、そんなアサイラムなら拒んであたりまえ、むしろ意志的な「登校拒否」として描かれることがありえた。それまでの精神医学が子どもらを「登校拒否症」として扱っていたのに対抗して、この子たちは正しい、病気なのは学校のほうだ、と訴える専門家が登場することもできた。

 いまは、対比のペアが異なることになる。やさしい先生たちが生徒を「さん」づけで呼び、保護者たちに深々と頭をさげ、苦情に弁明や反論ひとつ返すわけでもなく、いまに燃え尽きて倒れるんじゃないかと思うほど働いている。その中での「不登校」は、かつてのようにヒーロー視はされづらくなり、「個人的病理」にされやすいだろう。

 私たちが苛立ってしまったのはその論理的含意に対してであったように思う。それだから、その「優しさ」のおかしさを指摘してしまいたくなってしまうのだ。

 図と地の論理的対比効果とでも呼んではどうだろうか。

 

 ともあれ

 何が本当の原因なのかはわからない。もとから集団や組織にすぐ馴染む子ではないと思う。ぐずり屋も幼稚園時代からだ。

 その後もマーは登校時間になると決まってぐずぐずし、玄関でやっと靴下をはいたと思ったら気にくわないといってまた着替えといった調子で、毎日、遅刻かギリギリになった。私たちはイライラする気持ちを必死でおさえるが、目がとんがっているのをマーは決して見逃さず、さらにぐずぐずする。こうした「玄関での小さな攻防戦」が、登校をますます楽しくないものにしてしまう悪循環も、私たちはもういやというほど経験してきている。

 朝の会が始まってもまだ姿がないようだと担任の先生が家に電話を入れてくれる。初日のこと(および「抗議」のメール)が、かなり気になっている様子。少なくとも、気を配るべき生徒にマーはなっているのだろう。

 その電話と行き違いくらいで登校することがしばしばだった。行列のとぎれた通学路はさびしいらしく、見送り場まで手をつないで歩いた。さらに遅れると学校の昇降口まで送っていくのだが、そうすると電話を済ませた担任の先生か教務主任の先生が笑顔で待っていてくれる。

 「先生がニコっとしてくれるの」。

 マーはほっとしたらしい。これはありがたい。

 ともあれ、私たちはこうしていかにも問題家庭のモンスターペアレントとなり、マーはいかにも配慮の必要な生徒になった。

 ともあれ、4月は欠席ナシ。

 昨日、校門まで連れて行ったら、他の遅刻してきた子があり、昇降口あたりにも人影が見えた。

 「お父さん、もうここでいいよ、帰って!」

 駆け込んでいくマーの背中を見ながら「まあともあれ」なんとかなるだろうと思い、迎えに出てくれた先生の姿に遠くからお辞儀をして見送った。

 

(1)もっとも、自分の時がどうだったのか、記憶が全くない。私は保育園がどういうわけか延長になり、他の子が小学校に入ってもまだ保育園にいて、皆よりおくれて小学校に入ったため(これは確かな記憶)、入学式にも出ていないのだと思う。一年生の時の記憶もほとんどない。まぁ、その後の式典が、延々と校長先生や来賓の挨拶を聞かされるばかりで退屈きわまりなかったことは覚えているので、入学式もそんなもんだっただろうと想像する。